死んだ山羊の墓8

1:誤読が面白い。この間ツイッターで「人類は滅ぶべき」と書いたら(いつも書いているが)、友人が「人間を肯定したい派」なのでその意見とはそりが合わない、というようなことを言っていたけど、ぼくだって「人間を肯定したい派」で「人間を肯定する」と「人類は滅ぶべき」は両立する思想だし、ぼくが「人間を肯定し、なおかつ人類は滅ぶべき」と思っていることが伝わっていなかったので面白かった(これは誤読というか、ぼくがそれを言ってこなかったというだけだが)。

でもぼくは「この世の事象、特に人間のふるまい全てを肯定したい」とは全然思っていなくて、そうじゃないから人類には滅んでほしいんですよ。人間のふるまいなんてだいたいはクソですし。では「人間を肯定したい」とはどういう事か、というと例えばこれは一例でしかないけど、どんな人間であっても内にどんな野蛮を秘めていたって、それはいいのよ、みたいな話だ。この辺のことはまた改めて書きたい。

そういえば、ローマ法王か誰かが相模原の殺傷事件に言及したかなんかで「全ての人間の肯定が必要」みたいなことを言っていて、宗教の人がそれを言うのはジョークみたいで笑っちゃうなと思った。宗教がやってきた分断を反省しろ。してるならもっと反省しろ。

2:世界は「自分向け」に作られていないと感じ、辛い。感じるというかほぼ事実そうなんだ。そして「あなた向け」にも作られていない。誰向けにも作られていない。誰もが大なり小なりフィットしていない世界に無理やりはめ込まれている。どうしようもない。でもぼくは少し抗いたいと思っています。少しでもその中で生きやすく、周囲だけでも作り変えたいと思っていて、思っているというか少しずつやっている。ぼくが作り変えようとしているここが、たまたま誰かの生きやすさに貢献したらそれも嬉しい。これも恥ずかしいからまた違う機会にまた書きたい。