死んだ山羊の墓5

最近思っているんですが「自分だけが『真実』に気付いてしまった病気(と思われる)の人」になりたい、なりたくないですか?少なくとも主観では真実を掴んでいるわけで、掴みたくないですか?真実。そうじゃない人はお帰り下さい。そりゃ自分だけ真実に気付いていたら周りの不幸な仔羊たちを導いてあげたくて怪文書も書きますよ。「真実を掴んだ」という実感ってどんな感じなんですかね。

真実を掴んだら突っ走るしかないんですよ。よく「異なる意見を尊重しましょう」みたいのあるじゃないですか。そんなものクソじゃないですか。事なかれ主義者の戯言ですよ。そんなものは本気の言論では無い。だって例えば奴隷制度が敷かれている国で、それは良くないと気付いたらどうですか?今もまさに苦しんでいる人がいるというのに「異なる意見を尊重しましょう」なんて言えます?

つまり私は本気の言論が好きなので、怪文書を書きたい。実は私はたまに漫画を描くんですよ。で、創作についてもそうありたいと常々思っているのですが、本気度が足りず怪文書みが足りない作品しか作れていないですね。せめて怪文書みの強い他人の漫画を読みたい。以上です。